奇会的魔女観測

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 まず母に心配された。大丈夫だからと手をひらひらさせ、わたしは着替えてベッドにもぐり込んだ。
「あの人、生きづらいね」
 清にぃの言う通り彼は社会不適合者でこの社会で生きていくには辛い人間だった。
 そうだ、とわたしは気づく。清にぃと今日約束があったのだ、断りのメールを入れておかないと。けれど授業が終わるまでに回復するかもしれない。
 他人事のように、わたしは自分のことを思う。
 これまで普通の生活をつづけられたのが不思議だった。
 こんなにも、異常だったのに。
 こんなにも――異常なのに。
「わたし、普通に生活していけないね、これから」
 気づいてしまったからには無理だろうとわたしは思う。
 そして今も、普通に起きて平気だと思えた。
 梨希に会ってから全て変わってしまったのだ。わたしは細く長く息を吐いて勢いをつけ起き上がる。清にぃに会いに行かなければ。たぶん清にぃはわたしを目当てに移動してくるだろうから、ここにいつづけるのはまずい。
 わたしはバッグに必要最低限のものを入れて家を出た。母が心配そうな視線を寄越したが、そのままあのコンビニに向かった。最初に梨希に会った場所だ。  時刻は正午前後。学校で食べるはずだった弁当をコンビニの車止めに座って食べた。冷凍食品ばかりの弁当だ。そういえば自分で弁当を作り始めて1ヵ月になるなと思う。そんなことをふと考えてしまうほど、今のわたしは落ち着いてた。
 車通りは少ない。
 今日は午前授業と言うことになったらしく、近所に住む同級生や先輩たちを見かけた。誰も見知った顔ではなくて、事件など知らないようにコンビニに寄り道していく。それで良いのだとわたしは思う。
 バスがまた1台、やって来た。
 そこからまた何人か、白陽高の生徒が下りていく。その中に清にぃの姿もあった。いつもわたしは思うのだが、テレポートができるならバスなんて使わなければいいのにと思う。清にぃは誰かに見られたら困るじゃないかと言っていたが。
 清にぃは驚いているようだった。
「こんにちは?」
 取り敢えず何か言った方がいいかと、わたしは声を掛けた。自信がなくて語尾が上がり気味になってしまったが。清にぃは珍しく頬を朱に染めて、
「早退したのになんで家にいなかったんだい」
「今日も何か調べるんじゃないんですか」
 わたしの問いに清にぃは面食らったらしい。しかしもう怒っていないようで、まじまじとわたしを見た。
「今日、更科か弟に会ったね」
 断定だった。わたしは頷く。
「更科さんにも弟さんにも会いましたよ。それが何か?」
「厄介だね。実に厄介だね。メーコちゃんはやっぱり何か持ってたね。なんだろう?」
「……どうかしたんですか」
 わたしには質問の意図が分からない。ただ純粋に首を傾げた。やっぱりそうか、と清にぃはひとり納得する。
「一応ね、俺のテレポートだって弟の未来記だって、何かきっかけがあって機能するようになったわけだよ。そのきっかけが今日メーコちゃんに訪れて思考がすっかり入れ替わってしまったらしい。
 不思議じゃないか。今朝キミが殺人現場を見た時は取り乱して失神した。その後気分が悪くて保健室で休んで、結局早退した。心ここに在らずって状態からまだ二時間しか経っていないんだ。今までのメーコちゃんがそう簡単に回復できるとは思えない」
 言われてみればその通りだった。わたしは今酷く落ち着いている。今朝のようなものを見ても今のわたしなら路上の放置自転車を見たのと変わらない反応をするだろう。即ち認識しても考えるほどのことじゃない、ただ日常の良くあるものとしか思わないに違いない。
 ああ、どう考えても異常じゃないか。
 彼のような社会不適合者になってしまったらしいとわたしは認識する。
「その通りです、清にぃ。わたしは弟さんに会った時のことをよく覚えていません。たぶんあの時にわたしは壊れてしまった。最後は笑って帰ってきた気がします」
「仲間が増えたことを喜ぶべきなのかな。なんとも頭の痛い話だね」
 と清にぃは言っているが、全く困った素振りはない。今ならわたしも同じことをするだろう。口角を吊り上げてただ笑う。
「どんなことができるんでしょうね」
「さあね……僕には想像つかないよ。きっと彼女なら分かるだろうから、更科の家に行こうか。住所なかなか特定できなくてさ。久々に手こずらされたよ」
 ひとつ、わたしも思うことがある。
 今までの擬態をすることは大変じゃない。むしろ内心で大笑いしながら今までの日常をこなすことはとても楽だ。その方が生きやすい。
 それをすれば、清にぃや梨希のようにどこか得体の知れない奴だと周りに思われるのかもしれない。
 梨希の家はマンションだった。高層マンションの7階に彼女は住んでいるらしい。清にぃが言うには梨希の両親、兄弟共に行方不明らしい。実質ひとり暮らしだ。
「その都合良すぎる行方不明っていうのも気になります」
 エレベーターに乗って、一度も止まらず七階に着く。
「どうだろうね。あぁ、それは俺も考えたよ。みんな殺したんじゃないかってね。でも遺体はない。情報もない。困ったね」
 707。梨希の部屋だ。
 インターフォンのボタンを押すも、中は静かだった。試しにわたしがドアノブを引いてみると、呆気なく開いた。
「どうしましょう?」
「中で何があったか分からないからね。取り敢えず入ろうか」
 失礼します、と言ってわたしは靴を脱ぎ、中へ上がり込んだ。清にぃは黙礼すると靴を脱いで中に入る。ひとり暮らしの女性の部屋にしては華やかさがなく必要最低限のものしかなかった。ちらかろうにもちらかるほどのものがないのだ。
 一室とキッチン、ユニットバス。他に部屋はなく、そして梨希の姿もない。
「彼女まで行方をくらましたのかな」
 ドアがぱっと開いて風が入ってきた。黒い革のキャリーを持った梨希が当たり前のように入ってきた。わたしと清にぃの姿を見つけると笑む。目は笑っていなかった。
「失礼してます」
 わたしはこれまで通り振る舞った。清にぃは眉間にしわを寄せ、声を尖らせて言う。
「外出中鍵もかけないのか」
「あなたたちが来るだろうと思って開けておいただけ。待って、今お茶淹れるから」
 梨希は電気を点けると、わたしと清にぃに席を勧め、自分は台所に立ってお湯を沸かす。沸かし直しただけのようで、すぐに紅茶が振る舞われた。
「メーコちゃんは砂糖とミルクがいる人?」
 はい、と言うと喫茶店で出るようなスティック状の砂糖とフレッシュが出てきた。
 梨希はわたしと清にぃの正面に座った。一口紅茶をすすると、艶やかな唇を動かす。
「さて。メーコちゃんがどうかしたのよね」
「更科さんなら分かるんじゃないかと……?」
 いつの間に梨希はわたしの名前を知ったのだろう。今更ながら疑問に思った。
 梨希はくすりと笑みを零す。
 雰囲気はやはり――清にぃと同じだ。
「あなたは誰かさんとは真逆ね。あぁ、逆ってことはないのかしら。よく似てる。現在記なのよ」
 とっさに字は出てこなかった。梨希は首を傾げつづける。
「記憶って凄く曖昧なものなの。たとえば昨日の夕飯の時何を喋ったか一字一句まちがえずに言える人はいないわよね。メーコちゃんは意識した時それができるのよ」
 さも面白そうに梨希は笑う。
 つられてわたしもぎこちなく笑う。もちろん擬態だ。
「ありがとうございました」
 わたしは軽く一礼する。
「訊いて良いか」
 清にぃの声は硬い。どうぞ、と軽やかに梨希は言った。
「何人殺した?」
 梨希の表情が消えた。
「あらそういう話?」
「有力候補だからな」
 わたしは彼に確認した。彼はそれを否定したが、わたしはそれを信じる気になれなかった。
「わたしなわけないじゃない。わたしを疑うの? しかもあなたが」
「申し訳ない……けれどそれ以外思いつかないんだ。虱潰しにね」
「普段ならやらないでしょうに」
「我が弟が絡むと話が厄介になるんだよ」
 それを聞いた梨希は再び笑った。笑うと言うより嘲っているようだった。清にぃは失言をしたのか、わたしには分からない。
「そうね。イラが絡むと厄介ね」
 イラというのが清にぃの弟だというのはすぐに分かった。本名の一部を無理に読むとそういうふうにも読める。
「大学はいいのかな?」
「火曜日は午前の2時限でおしまいよ」
「今日はありがとう。そしてすまなかった」
 わたしは急いで紅茶を飲みきり、清にぃにならって席を立つ。
 当然家に帰るなり説教されて、わたしは今日のことを振り返る。
 リビングには目の前に母親がいて、きっと2階には妹がいる。母親は手を変え品を変えわたしに言葉を投げる。
 そんな中、今日のことを振り返る。
 わたしは清にぃと同じくして不思議な力を持っているらしい。
 梨希曰く「現在記」。今この場で起きていることを克明に記憶ができて、変えてしまえる。
 そんなことを考えながら、わたしはうなだれている。
「――分かった? ここのところ危ないんだから、学校行く以外は外出しないの。帰りも寄り道しない。良いわね」
 有無を言わせぬ一言で、その場は終わった。
 わたしは自室に避難する。
「なーんか疲れたなぁ」
 それが今日一日の感想だ。
 今は16時半。勉強する気も起きない。混乱して放りっぱなしだったスマホを見ると、心配の言葉を綴ったメールが何通か来ていた。それらひとつひとつに大丈夫だと返信する。
 そう、大丈夫だ。
 もうあのくらいで取り乱したりしないだろう。
 友人たちに今までと変わったという印象を与えなければいいと思う。
 最後のメールを打ち終えてすぐ、画面が切り替わり着信音と共にスマホが震動した。見たことのない番号だが、スマホの番号ではあるらしい。
「はい、もしもし」
 きっと今、わたしの表情は変わった。
 さきほど目覚めてしまった、本来の表情へと。三日月の笑みを作り、わたしは話を聞いた。その間も相槌を打っている。わたしのそばに誰かいれば電話口に立つ女性の笑い声が聞こえただろう。
 心底面白いという純粋な笑いが。
 わたしも口元を歪ませる。
「――分かりました。ええ、はい、ではまたのちほど」