奇会的魔女観測

+2+

 火曜日は慌ただしく始まった。
 昨日御堂高校の敷地内でうちの学校の生徒が殺害された影響で、今日は2時間繰り下げるそうだ。連絡網がまわってきた。わたしは電話を置くと、朝練だと言ってもう家を出ようとしている妹を見る。
「どうしたって?」
「休校にはならないみたい」
「あ、そう」
 母は食器を洗いながらさもつまらなさそうに言った。いってきます、と言って妹がドアを乱暴に閉める。
「じゃあ今日は掃除しなさいね」
 もう制服に着替えていたわたしは、家中に掃除機をかけてすぐ家を出た。10時半に着けばいいのだが、あまり家にいたくなかった。清にぃに会いたかった。弟はなんと言っていたのか聞きたかった。
 バスは8時29分に来る。それまで3分とない。
 わたしは向かいのコンビニをぼうっと眺めた。店から女性が出てくる。大学生くらいの茶髪でロココな服装の人だ。相手はわたしが見ていることに気づいたようで、にこりと微笑んだ。
 思わず、わたしは声を上げそうになった。
 梨希だった。軽やかに歩いて横断歩道を渡り、わたしの隣に立つ。
「通報しなかったのねぇ?」
 どこに行くのか、梨希はキャリーを持っていた。黒い革でできた小振りなもので梨希の持つ雰囲気に相容れている。
「しましょうか?」
 減らず口をたたいてもしょうがないとわたしだって分かっている。
「やめてくれると助かるかな。あなたの名前を訊いてもいいかしら」
「……小鳥遊芽衣子(めいこ)です」
「わたしは更科梨希っていうの。奇遇ね、ほんとに」
 バスが来た。
「遅刻しますのでこれで」
 わたしは逃げ込むようにバスに乗り込んだ。梨希の笑みは薄皮に貼りつけたようで、どこか人形じみた笑みだった。
 ほとんど人の乗っていないバス、適当な場所に座る。振り返ってもまだ梨希はそこにいるんじゃないかとわたしには思えた。
 当然、バス停から学校へ歩く道は閑散としていた。朝の通勤ラッシュと昼間での時間は緩やかに流れている。学校はしんとしていて、校門から入っても空気の変化は感じない。いつもはもっとざわっとしているのに。
 地学部は夏休みに天体観測をすると聞いている。夜学校に集合するのは面倒だから合宿するらしい。その時の学校も廃都のように静まり返っているのだろうか。
 昇降口の鍵は開いていた。わたしひとりの靴音が高く響く。
 教室に誰もいないというのはなかなか新鮮だった。わたしは遅刻間際に来て運動部が準備し始めている時に帰る。放課後なんて適当な活動しかしていない地学部は、ちょっと話すかまたは全く活動しないで1日が終わるのだ。
 人がいない時、わたしは学校にいない。
 中学校、小学校の時からずっとそうなのだ。鞄を下ろすと、教室をひと通り眺めてみる。
 ものが倒れる音がした。隣の教室に誰かいるのかもしれない。わたしは6組の教室から出て、隣の教室のドアを開けてみる。教室中央に、ひとり生徒が座っている。彼は机に突っ伏していた。ぽた、ぽた、と机の端から滴っているものはなんだろう。机の上に水たまりを作るだけでは飽き足らず、床にさえ小さなたまり場を作る。
「澤村、じゃないよね」
 膝ががくがく震えていた。耳の中で早鐘を打つような音がする。ぐらぐら視界が揺れている。朝、早く来すぎて眠っているという日常を愚弄する、そんな光景だ。
 足が萎えてその場にへたり込む。わたしは絶叫していた。
 隣のクラスの男子生徒が、首を分断されて死んでいる。

 

 ブラックアウトした視界が、欠けた世界を見せたのは、どれくらい時間が経った後か。わたしは何人かの見知らぬ生徒に囲まれていた。
「え、ええと、大丈夫ですから」
 言ってわたしは立ち上がろうとした。足元もぐらついて頼りないが、どうにか保健室へたどり着いた。9時半、ちょっと過ぎ。5分としないうちに悲鳴を聞いた何人かが来て、わたしは意識を取り戻したらしい。それで今、保健室のベッドに倒れ込んだ。
「小鳥遊さん、どうしたんですか」
 秘書のような外見の保健の先生だ。わたしは貧血ですと言った。顔が青いので絶対に信じてもらえるだろう。あの、血の海と。日常を冒涜したあの風景を。思い出すだけでまた意識が遠ざかりそうだ。
 でも、とわたしは思う。ひとつだけ、不幸中の幸いという奴があった。殺されたのは有也じゃなかったこと。誰が死んでも知らない人なら関わりはないのに、知っているというだけでここまで重みが違う。死んだ人に失礼だが、わたしがもう1度失神しないのはそんな支えのおかげだった。
 間もなく、目の前にぼんやりと人影が浮かんだ。やはりもう1度、意識が飛びそうになっているらしい。
「大丈夫?」
 あぁ清にぃが来たな、とわたしは思う。
「あまり」
 声すら滲んで聞こえる。
「ごめん、ひとつだけ良いかな」
 わたしが重い頭を上下させると、清にぃは何ごとか聞いた。わたしは嫌な予感を断ち切れなかったが、質問にだけは答えた。
「見て……ない、です」
 半分は嘘だと、わたしは確信していた。しかし眠くて、1度寝なければと、わたしは闇の中に引きずり込まれていく。

  + + +

 ワタシは清にぃに疑われないためにも学校に行った。目的は読書と睡眠で、家にいたからと言ってやることは変わらない。
 案の定1時限目から教師に怒られた。曰くワタシは気力がないのだそうだ。はいその通りですと言っても確実に相手の逆鱗に触れるので黙っておく。小学生の時の経験が今に生きているのだから不思議だ。
 教師はようやくワタシの意識が自分に向いていないことに気づいて、唐突に怒りの矛先を収めた。こんな奴役に立たんと言って授業に戻る。他の生徒のことを考えれば当然のことだろう。その方がここにいる人たちのためだ。
 そういえばここは私学なのだから、退学させると言ってしまえばそれで終わりなのに。
 考えてもしょうがないので、ワタシは本のつづきを読むことにする。教師の視線が痛いが、基本的にワタシは不干渉なので放っておいた。ワタシにとっては授業が潰れようと痛くも痒くもない。
 そもそも今朝は全校集会があって殺人現場になったことを説明されて大騒ぎだったが、今普通に授業しているのだから皆さん随分無関心だ。
 休み時間になると、まわりの生徒がおっかなびっくりこちらを観察し始める。小学校、中学校時代からそうである。ワタシは小学校から御堂に通っているので、既に顔見知りなはずだが、ろくに彼らと会話した覚えはない。
 次の時間は移動教室だったのか、皆移動してしまった。
 追いかけるのも面倒なので帰ることにする。この学校の良いところは1時間でも授業に出れば出席日数としてカウントされることだ。このままいけば留年することはないだろう。残念なことにワタシは試験というもので90点以下を取ったことがない。赤点が原因で留年することはないだろう。
 裏門から外に出ると、昨日の殺人現場にロープが巡らせてあった。検識の人が何人かいる。ワタシに気づいて……呼びとめた。
「早退です」
 疑われるのは嫌だったので、素直に生徒手帳を見せた。何度か頷いて、さっさと帰れというようなことを言った。
 ナシキに会わなければいいと思う。