奇会的魔女観測

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 春先の寒さにしばし悩んで、わたしは結局ブレザーの下に薄手のセーターを着て登校した。ミディアムショートの髪はくせっ毛なのだが、今日も直す時間がなかった。いつもだと走って行けばバスに乗れるのだが、今日は交通事情のせいかおいていかれた。
 歩いて行っても絶対遅刻する。あと20分待った方が良い。わたしはため息をついて、バス停の後ろのショーウィンドウに寄りかかった。バスに乗ったところで遅刻は確定なのだ、わたしのまめな友人瞳子(とうこ)なら連絡を入れるだろうが、そんな気にはさらさらなれなかった。
 昨日の万引き犯の顔を思い出そうとしてみる。
 ふわっと内側に緩く巻いた茶髪にどこか冷めていて凪いだ黒い目で、頬骨の尖った女性。大学生といったかんじで白い短めの上着を羽織っていた。
 わたしの視界におさまっていたのは1分とないはずだが、克明に記憶している。
 それならば警察に届け出ようとも思ったのだが、そうすることはためらわれた。理由は簡単だ。
 目の前にいたわたしにまで、疑いの目が向けられる。
 あの場で叫べば良かった。会計の時店員に言えば良かった。しかしひとつ、腑に落ちないことがある。
 あのコンビニ、防犯カメラは互いの死角を補うように2台あった。女性は隠しもせず堂々とペットボトルを持ったまま店を出て行った。防犯カメラに映っていないはずもなく、なぜ店員やあの場にいた人々は彼女を止めなかったのか。
 わたしとは無関係でどうでも良いことだったが、昨晩はそれを考えつづけていて眠れなかった。
 忘れれば良い。わたしがやったわけじゃない。
 でも、と頭の片隅がそれを拒絶する。何か気づいていないことがある。
 それを考えているうちにバスがやって来た。
 その日の授業は上の空でそのことを考えつづけていたのだが、答えは出ない。放課後に地学室に行こうとしたところ、誰かに呼びとめられた。振り返る。
「あ」
 相手には失礼だが、わたしは先輩である清(きよ)にぃを見てようやく答えを見つけたのだ。180はあるだろう背の高い、同じ中学出身の先輩だ。
 似てる。だから。こんなにも、似てる。
 そこにいるかいないのか分からない、曖昧とした雰囲気が似ている。けれどそれゆえどこにいても目立ってしまう。大人びて背広を着たら、若手サラリーマンにしか見えない凡庸している人だが、まとう雰囲気のせいで人混みでさえ目を引く。
 彼の名を紫条清和(しじようきよかず)という。わたしよりふたつ上の、3年生だ。
「どうかした、メーコちゃん」
「なんでもないです。ど、どうかしました?」
「動揺してるの丸分かりだよ」
 霧の向こうの住人には相手の気持ちがすんなり分かるのだ。わたしは身をもって知っている。顔を赤くしながらもわたしは反論を試みる。
「そんなことないです。ちょっと考え事してただけでぼけっとしてました」
「いつもだね」
「ですよ」
「白状することがあるんじゃないかな」
 わたしと清にぃの付き合いは長い。小学生の時からの知り合いで、秘密を隠し通すことができたためしがない。
「わたし、万引きを見たんです」
 素直に白状することにした。
「へぇ、それで?」
 清にぃは動じていなかった。わたし、今日も遅刻したんです。そんなありふれたことを言ったつもりはないのだが、この御仁にはそう聞こえたらしかった。
「万引きを見たんですよ」
 念を押すように言ってわたしは清にぃをうかがったが、先輩は不思議そうな顔をしているだけだった。それはこれから何が起きてもいい加減に笑っているのではないかと思わせるような微笑だった。
「驚かないんですか」
 根負けしてわたしは問う。
「そういう小さな事件は報道されてないだけで今もどこかで起きてるんだよ。それを見た人が近くにいただけでなんで驚くのかな」
 清にぃは問いかけるというより独り言を言ったようだった。顔も口調も心底不思議そうだが何を考えているのかいまいち把握できない。
「人それぞれだけどね……訊いて欲しいみたいだから訊くよ、その万引き犯とやらはどんな人だった?」
「女の人です。大学生みたい。内巻きの茶髪で、清にぃに雰囲気が良く似てる人です」
 一瞬清にぃが目を見開いた。
「またね、って言って万引きしてかなかった?」
「そうですけど。まさかあの場にいたんですか」
「昨日は1日ずっと家にいたよ。ははあ、そう。うん、彼女知り合いだ」
 さらっと言われてわたしは相槌を打ちかけた。
「知ってるんですか」
「今そう言ったつもりだけど」
 清にぃは考え込むような顔をしている。答えが分かっているのにそうしているように見えてわたしの声は心なしか尖った。
「名前、なんていうんですか」
「更科(さらしな)」
 苗字だけ言って清にぃはどこか遠くを見る。知り合いというからにはフルネームを知っていそうな気がするが、わたしと違い清にぃは半端屋ではないから、知っていたらきちんと言うだろう。
「更科……って、呼んでる。そうか、更科はうちの学校の近くに住んでたか。御堂(みどう)大は遠いだろうにご苦労さまだ」
「清にぃ、わたしに声かけたのはなんか用事があったからですか」
「うん。済んだから良いよ」
「まさか今のこと訊くためですか」
 それこそまさかだよ、と清にぃは屈託なく笑う。
「メーコちゃん元気かと思って」
 まるでわたしが病弱であるかのような言い方だが、今のところわたしは大した病気にかかったことのない健康優良児である。
「時々清にぃのずれっぷりが楽しいです」
 独り言のつもりだったが、聞こえたらしい。
「弟にも似たようなこと言われた」
 それじゃ、と片手をあげて清にぃは階段の方に行ってしまった。
 地学室には予想通り瞳子がいた。髪をふたつに結んだ目の大きい、澤村(さわむら)瞳子というわたしの同級生である。
「遅かったな」
 今は虫眼鏡で方眼石の断面を観察している。
「清にぃと話してたの」
「あっっそ」
 わたしの方を見もせずにじっと石に見入っている。わたしは瞳子の斜め向かいに座った。元々活動の活発な部ではないから、今日は地学室に3人しかいない。昨日化石を掘りに行ったからみんな疲れてるんだろう。部長なんかは学校をサボっているかもしれない。普段から顔色の悪い人なので仮病が簡単にまかり通るのだ。
「あいつわけ分かんない。へらへらへらへら何がおかしいんだか」
 瞳子はようやく顔を上げ、わたしを見た。勝ち気な目が吊り上がっている。口が悪く一触即発な瞳子は、わたしが今年高校に入って得た最初の友人だ。
「愛想笑いなんじゃない?」
「苛々するからやめて欲しい」
「……瞳子はいつも苛々してるんじゃないの」
 瞳子に睨まれた。
「メーコはそう言うけど、怒ったらもっと怖いぞわたし」
「見たくないね」
「だろう?」
 わたしは昨日採集した化石を取り出すと、ハンマーを打ちつけた。固めだ。小さいが至るところに石英がある。
「そもそも奴とおまえの接点はなんだ?」
「同じ中学だよ」
「それは知ってる。小学校の時から知り合いなんだろ」
 ぴしゃりと瞳子は言う。思わずわたしは首を引っ込めた。この剣幕が怒っていなくてなんなのか。瞳子はよほど清にぃが気に入らないらしい。
「えーと」
 説明しないといけないんだろうか。わたしが視線を泳がせていると、瞳子が大袈裟にため息をついた。
「昔付き合ってたとか」
「そういうのじゃ、ないんだけど」
 わたしは石英に目を落とした。
 清にぃはわたしの恩人である。バイクにぶつかりそうになったところを助けてもらったのだ。助け方については今でも信じられないのだが。
 おまけに彼は歴とした犯罪者である。
 おかげでわたしはネットカフェで被害に遭っている。
 それが初対面のきっかけになったのだ。
 が、わたしは瞳子にそれを説明するわけにはいかない。
「はっきりしないな。言えない事情を訊こうとは思わないけどさ」
 瞳子はにやにやしながら身を乗り出した。
「図書室によく出入りしてたのよ」
「何? さっきまでの慌てようは。そんなとってつけたような理由なのか。大体おまえ、活字嫌いの現代っ子だろう」
 わたしは短い髪を手で梳く。すぐに手は空をかく。
 新聞のテレビ欄しか見ないわたしとは違い、瞳子は朝刊には全て目を通し本も読む。主に挿絵のない文庫本やノベルスを読んでいるのだ。マンガしか読まないわたしには信じられないことである。
「図書館にはマンガだってあるよ」
「聞き苦しいから言い訳はやめな」
 瞬殺だった。
「もう良いけど。じゃあ今の話しようか。にーちゃんにまだ言ってないのか」
 話がそれて喜んだのも束の間だった。わたしの顔が赤くなる。
「ははーん、やっぱりまだか」
「澤村って鈍感そうじゃない」
 瞳子の双子の兄、澤村有也(ゆうや)はわたしの片恋の相手だ。一目惚れなんて絶対しないと思っていたのだが、どうも思い込みであったことがつい先頃判明した。
「うん、鈍感だ。で、分かりやすい」
「瞳子の意地悪」
 苦し紛れにそう言うと、瞳子は大笑いした。たまにわたしは、瞳子は友達甲斐のない奴だと思う。
 わたしは化石をハンマーで叩き始めた。
 綺麗だと思う。しっかりと前を見据えた、茶がかった有也の目。
 案の定、わたしはハンマーで指を叩きそうになった。
「メーコ」
 瞳子が何も言わなかったら、まちがいなく指にハンマーを振り下ろしていただろう。やはり瞳子は必要だ。
 いや、いつもいてくれて良かったと思っているのだ、わたしは。
「恋は盲目って言うけどなぁ」
 使い方がまちがっているような気がしないでもないが、原因はそれでぼーっとしていたのだから何も言えなかった。
 と、ひび割れた校内放送が入った。
 終わった途端、急に辺りは騒がしくなる。昨日の万引き犯のことが頭をよぎった。瞳子も慌てて帰る準備を始める。
「あるもんだな、そういうこと」
「うん……」
 さきほどとは違うことを頭の片隅で考えていたせいで、わたしの心はここにあらずだった。

  本校の近くで殺人事件が発生した。
  犯人は現在も逃走中、若い女性らしい。
  生徒は即時集団下校するように。