奇会的魔女観測

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 手元にあるのは1枚の予言。と言ってもただのメモ用紙だ。ワタシは何をするでもなく、白陽高校の1年6組の教室でぼうっとしていた。一応ペンとメモ帳は持ってきたが、メーコの現在記とは違い直前に何か書けるというわけではなかったりする。
「名目上観測者、か」
 忘れていたのが不思議なくらいだ。あの研究所に何年も暮らしておきながら、所員の名前を覚えていないとは。忘れていたとは。あの研究員もここにいるだろう。通称、があるといいのだが。
 全く。
 ナシキは清にぃに会っただろうか?

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 悲鳴、がした。
「遠いね」
 わたしも靖人も動かなかった。梨希は四階辺りにいるだろうか。清にぃははっとして影になり消えてしまった。場所は分かっていなくても梨希目当てに転移したのだろう。
「俺としては素直に寝てたいな」
「椎くんサボるのは良くないよ。ほら、わたしたちも行かないと」
 階段を上る。ただ、何階だろう。
「4階にしとこうか」
「他の奴ら来てんのかな」
 それぞれ独り言を言いつつ、階段を上る。いつも通りの学校生活、ただし今日は土曜日だ。しばらく前まで土曜日も学校に来ていた時代もあったから、それと同じと思えばいい。
「師匠は『疲れたから仕事してくる』って言ってたぞ」
「全然理由になってないけどね」
 なんだかんだ言ってるうちに、わたしと靖人は4階に着いた。血のにおいがする。正解らしい。
「派手にやってんな」
「この前もこんなかんじだよ」
「俺はこういうの嫌いだ」
「へぇ?」
「必要最小限の手でいきたいんだよ」
 教室ではない。廊下で対峙する清にぃと梨希がいた。その間に事務の先生が倒れている。
「メーコちゃんも椎くんもちょっとゆっくりしすぎだよ」
「ごめんなさい更科さん」
 おざなりにわたしは謝った。梨希は笑っていて清にぃの表情は険しい。事務員は首から腹までまっすぐに包丁をおろした跡があった。凶器は梨希の手に握られている。無論もう片方の手にはキャスター付きの旅行鞄の取っ手があった。
「まぁ、いいとして――清和さんってほんとお人好しだわ。だからあなたには止められない」
 誰を、ではなく何を、だとわたしは思った。
「止めるつもりは、あるね。梨希はこれからどうするつもりなのかな? 俺の弟によれば被害者は赤城先生が最後みたいだけど」
「意趣返しならイラくんにやったつもりよ。本当に当たるか試してみたかったの。拒否しようにも難しいわね。だからあなたは見てるだけで良かったのに」
 これ見よがしに梨希はため息をついてみせる。
 理由、あったんだ。わたしは別なところに納得していた。
「巻き込んだ原因っていうのは排除してみたくなるかもよ?」
 梨希は三日月の笑みを浮かべる。明らかに清にぃを見ていなかった。清にぃではなく、その背後にいる誰かを見ている。避けようとした時には既に遅く、痛みより先にわたしは熱い、と思った。肩を包丁がかすったらしい。梨希の投擲した包丁はからんと音を立てて階段をすべり落ちた。
「――メーコちゃん!」
 清にぃがわたしに駆け寄る。わたしは思わず、言ってしまった。
「何?」
 清にぃの表情が驚きや失望といった色に変わる。
「清にぃは本当にお人好しですね」
 一瞬、清にぃは言葉を失ったようだ。ゆっくりとした動作で、靖人が落ちた包丁を拾う。
「うん、たとえば俺が包丁を背中に突き立てる可能性、とか考えなかったのかよ」
 清にぃの首に包丁を当てて、靖人はぼそりと呟く。
「椎くん、殺人行為はいけないよう」
「更科さんが言えたことですか?」
「冗談よ」
 わたしは冗談にならない世の中ならいいんだろうな、と思った。
「椎くんは日常的にそういうことに手を染めてる人?」
「いや、俺は基本的には自分の手を汚さねぇんだ」
 靖人は包丁を梨希に返した。わたしはただ見ているだけだ。
「メーコちゃん」
 透明な声で梨希が言う。目の奥底まで見えそうな、霧をまとうより厄介な感情の隠し方だ。にこりとも笑わずにわたしに包丁を向ける。
「わたしは運動神経が良いわけじゃありませんが、ただじゃ殺されませんよ」
 どこか遠くで自分の声がしたように、わたしには思えた。
「そうねえ、どうしようか。清和さんはどう思う?」
「やめてくれ」
「でしょうね」
 清にぃの即答ぶりにわたしは苦笑してしまった。靖人が呆れた視線を向けた。
「おまえ殺されそうになってるんだぞ?」
「知ってるよ……」
 足音が聞こえる。

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 誰も来なかった。ワタシは面倒になってきて、4階へ向かうことにする。よその学校だが、新鮮な気がしない。リノリウム張りの階段を上り、だんだん紅くなっていく空気を吸う。足音は大して響かない。さて、今この先を上って、ワタシは誰の背後を取れるだろう。
「おまえ殺されそうになってるんだぞ?」
 弟子の声がした。
「知ってるよ……」
 メーコの声がした。ここに清にぃやナシキがいないはずがなく、ということはメーコや靖人の背後を取ることになる。
 ワタシが階段を上りきった時、メーコが最初に気がついた。

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「やあ」
 あまりにも場にそぐわない、呑気な挨拶。わたしも取り敢えず、こんにちは、と言ってみた。
「律儀だなおまえ」
 靖人に突っ込まれ、わたしは曖昧に笑む。
 彼、イラはスマホを取り出し、3桁の番号に電話した。
「もしもし、南署の雪村さんですか? 白陽高校で新たな被害者が出ましたので来てください」
 イラは早口にそれだけ言うと、丁寧に服でスマホを拭いて被害者のそばに投げ捨てた。
「それ、赤城先生のだったりするの?」
「さっきすれ違った時に借りた。じゃあ帰ろうか。雪村さん来るよ」
 イラが笑うところをわたしは初めて見た。三日月の笑みを浮かべて、そのまま階段を下りていく。梨希は窓を割って飛んでいってしまう。
「清にぃのテレポートって3人以上巻き込めたっけ?」
「いや、無理」
 残されたのはわたしと靖人だけ。わたしは大学ノートに走り書きをつづけながら、靖人と学校の外に出た。
 ようやくノートから手を離せた。途中、雪村の青いミニバンを見かけた。