奇会的小唄観測

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「ナシキ。立ち聞きはよろしくないよ」
 ドアが開いて、20代の女性が笑顔で入ってきた。ゆるく内に巻いた髪に、黒い革のキャスター付き旅行鞄を持っている。
「やっぱりイラにはバレちゃうのね。今日は雨が降ってなくて良かったわ」
「バレるも何もメーコさん尾行して遊んでたんだろ」
「あら。よくご存知で」
「アナタの行動の大体は面白半分という要素で占められているだろう」
 ワタシはナシキの分のコーヒーを淹れた。ナシキは緩く巻いた髪を片手でいじりながら、テーブルに頬杖をつく。
 残りのコーヒーを飲んだワタシは、にこにこしているナシキにため息をつく。
「良いじゃない、大学にはきちんと行ってるわよ」
「きちんと通学していないワタシが人間失格みたいじゃないか」
「あら、違ったの?」
「アナタもワタシを人間扱いしないのか。確かに人間扱いしてくれないところで育ったのは事実だがね」
 ナシキはコーヒーを飲み、今日も美味しいわね、と言った。
「この事件を止める気はないんでしょ」
「ないよ。むしろなぜワタシが弟子を止めないといけないんだ」
「弟子なの?」
「師匠ではないと思うよ」
「知ってるんでしょ」
「断片的に」
 これは本当だ。ワタシはメーコほど勘が鋭いわけではない。彼女なら誰が犯人か確証を持っているだろうが、むしろ確認したようだが、ワタシは証拠を持っているわけではないのだ。未来記も万能ではない。
「驚いた。この前の事件は止めたじゃない」
「メーコさんを殺されると困るんだ。それだけ」
 ワタシは最悪の未来を知っている。だからそれだけは避けたいのだが、未来記ははずれない。だから無駄な努力だ。でも、と思ってしまうのはワタシが人間だからだろうか。
「あの後みんな帰ったでしょ、警察が来たでしょ、その後全く報道されてないのはなぜかしら」
「雪村刑事がストップをかけたからだよ」
「あの人ってそんな偉い人なの?」
「裏で糸を引いてるんだよ。腹黒いのは良く知ってるのからね」
「昔からの知人みたいな言い方ね」
「否定はしないよ」
 会話が途切れて、ナシキはコーヒーを口に含む。そういえばワタシの周囲にコーヒーを飲めない人はいないな、と思った。
「わたし何しに来たと思う?」
「難しい質問だね。ワタシとコーヒーを飲みながら雑談しに来たわけではないだろうね」
「そうね。一応わたしも学生だから、学業を優先しないといけない」
「出席はしなくともテストの点数が良ければ学校は所属するだけの場所だろうに」
「あなたと違って普通の人は勉強に苦労するの。どちらにしろ質問に対する答えははずれよ、結婚の相談に来たの」
 ワタシは口の中に苦みを感じた。
「あら、予想済みじゃないのね」
「清にぃと結婚するのかい」
 ワタシの実兄、清にぃはナシキの彼氏である。高校3年生で大学を受験する気があるのか分からない清にぃが結婚。
 知っている未来とはいえ、学生結婚とは随分気が早いように思う。それとも授かり婚で急を要するのだろうか。
「そう、清和さんと結婚するの。もう結婚指輪も準備してるって」
「まァ、清にぃなら10万くらいの出費は痛くないだろうね」
「そういう問題なの?」
「わざと焦点ぼかしてることくらい分かってくれ」
 疲れるからナシキと話すのは苦手だ。
「これでイラはわたしの弟ね」
「嫌な義姉さんだな」
 ナシキはけらけらと笑った。玩具みたいな笑い声だった。ワタシは他人の気持ちをうまく推察できる方ではないが、この笑い声を聞いたら大抵の人はむっとするのではないだろうか。
「それだけよ。魔女の媚薬はハッカーに効いたみたいだから」
 ナシキは言うだけ言って帰っていった。相談と言うより報告だったように思う。
 旅行鞄で飛行できるから魔女、とナシキは名乗っている。媚薬を作る知識は彼女にはない。冗談であることくらいはワタシにも分かる。恋愛なんてワタシにはどうでも良いが、感情の機微に疎いのは問題かもしれない。
 カップとソーサーを片づけて、ワタシは本を読むことにする。文学は素晴らしい。今日の本は『ドグラ・マグラ』だ。何回も読んでいるがこれを読んで本当に精神に異常をきたした人はいるのだろうか。
 スマホが震動した。ワタシはケータイやスマホの類を必要としていないのだが、周囲が連絡を取りたいらしく、持たされている。誰かからのメールのようだ。
「アンネ?」
 安音深奈美(やすねみなみ)。この前の白陽連続殺人事件で地学の教師だった父を亡くした少女だ。中学生で、ワタシの後輩にあたる。実は彼女は御堂中学校に通っているのだ。
「ケータイ買いました。今度はわたしも参加したいです。って……ワタシが事件を起こしたり統括してるわけじゃないんだが」
 アンネは中学生ではあるが、楽しい能力の持ち主だ。メーコの現在記と良い勝負だと思う。普段は三つ編みの大人しそうな優等生だが、外見を自在に変えられる。声も変わるし擬態もできるから外見が全く当てにならないのだ。
「参加ねえ」
 ワタシはしばらくケータイの画面を見つめていたが、メールには返信しないことにした。メールアドレスを教えてもらっただけ。来るか分からないがいざという時にワタシとアンネの間で連絡が取れればいいのだ。
 ケータイをテーブルに置いたらまたバイブが鳴った。すぐ鳴り止まないあたりどうも電話らしい。面倒だと思いつつ電話に出る。
「清にぃ、なんの用?」
『また自殺者が出たぞ』
「わざわざそのために連絡してきたの?」
 押し黙る気配が一瞬だけ、あった。ワタシの兄は良く喋る人間だが、肝心なこととその他のことを区別なく喋っているからだと思う。
『澤村瞳子。名前で分からないなら、いや分からないだろうから補足するぞ。メーコちゃんの彼氏の双子の妹だ』
 澤村。ワタシの思考もさすがにとまった。
 メーコの彼氏の妹。つまりメーコと瞳子とやらは知り合いの可能性が高い。メーコはうまくショックを受けたフリができるだろうか。
「そう……」
『僕はきちんと犯人を調べる』
 電話は切れた。